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上ノ原の渡し(西原)
那賀川町役場
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那賀川町の昔ばなし

更新日 2005年12月13日

昔話

上ノ原の渡し(西原)



 小春日和の暖かい昼下り、少しくたびれかけた年寄りのアベックさん、土手の上に腰をおろして、対岸を指さしながら話こんでいます。
 ちょっと意地の悪い狸、姿をかくして話のぬすみ聞きを始めました。
「ばあさん、あの辺が権現さんよ、大きなずいの木もあったなあ。」
「ほな、ここらが上ノ原の渡しやなあ。」
「なあ、ばあさん、むかしの上ノ原の渡しがあったら、今の矢切の渡しよりよっぽど有名になるのになあ……。」
 あの頃は、この那賀川も川幅がせもうて、両側によしがいっぱい生えて、ほの中を舟が往く、ほんまによかった、渡しが一等の交通機関だったし、この渡しを上った所にお地蔵さんが座っとって、通行人の道や安全を見守ってくだされた。
「このあたりは、ずうっと田んぼだった、向う岸で田を耕しとる人は、この渡しを使うて出かけたもんじゃ。」
「ほな、じいさん、牛も乗せていったんで。」
「いやいや、牛や飼うとる家一軒もなかった。農仕事に牛を使うようになったんは、ほれから後のことで、牛を飼うとるんは大分限者じゃ、娘を嫁にやるんも、牛が一頭おったら一しんしょうゆうて財産家だった。
 ほれから、昭和の初めに改修工事ができるまでは、ここらには、家も大部あったし製材工場もあった。みいんな、立ち退きをして川幅を広げたお陰で、大水が出ても堤防の切れる心配もなうなった。ほんまに、ようなったもんよ。」
 二人の、話はつきません。
「ほれから、少し下の大京原へ板橋がかかったけんど、大水が出たら流されるんで、この渡しを利用したんよ。」
 二人は、昔を偲んで少ししんみり。
 そろそろ腰を上げたお二人さん、トラックや乗用車が通る中を、手を引きあって横切りました。
 やれやれ、無事村の方を眺めたじいさん
「この、お地蔵さんが引越して来た上ノ原のお地蔵さんじゃ。」
 今も、毎日お線香が上り、無病息災を祈ってお参りする人がたくさんあります。
 この通も、今は、幅も広くなり舗装もできていますが これが小松島や、立江へ通じる一級道路でもありました。
 立江の、地蔵市や、原の、おやくっさんの市は、人通りがつづいて、渡しも大繁昌であったそうです。
 さっきのお二人さん、話ながらありがたいお地蔵さんの前へ、又、腰をおろして家内安全か、無病息災かは知らないが、お心経を唱え始めました。
 意地悪狸も、ここらで退散、旧、徳島掛通を、北へ自転車を走らせました。

            書き手 早竹愛子





※「那賀川町の昔ばなし」 昭和六十一年九月 那賀川町社会福祉協議会より発行

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