2006.08.27 Sunday
民族祭り
RouteTracker Route43anyway going to kobe
2006.08.15 Tuesday
中蔵寺
♪平島にはお寺が多いの なんでだろ??♪西光寺は、公方様のお寺として有名ですが、ほかにも平島にはたくさんのお寺があります。里の宝満寺・苅屋の中蔵寺・上福井の善福寺・三栗の神宮寺・大京原の妙法庵など。苅屋の福王寺や西原の真光寺は、今はお寺のあとしかのこっていません。昔の人は、よくほとけ様におまいりしたようです。お寺をまわっているうちに、いいお話を聞きました。「北にむいているおじぞうさんに、ねがいごとをすると、かならずかなう」そうです。みなさんもためしてみては・・・。わたしたちの家のまわりの川は、まだまだきれいで、アメリカザリガニやカニ・メダカがいっぱいいます。
RE: 八十八ヶ寺巡り by hn11さん 遍路さん。 今は亡き父が一度廻っていました。 実家が19番札所の立江のお地蔵さんの近くです。 中蔵寺と言う部落の檀家で、お住職さんは、23番札所の日和佐のお薬さんで修業しておられる。 で・・・hn11 は、飛び飛びで行っているが、何処何処行ったか覚えていない。クニに帰ったら廻ってみようかなとも思います。 愛媛で記憶に残っているのが、石手寺だけです。(笑) 今は、西国22番札所の総持寺の近くに住んでおります。(笑) 返事を書く (2004年11月06日22時17分34秒) 中蔵寺 2006.08.14 Monday
上ノ原の渡し(西原)
那賀川町役場
ホームページ 那賀川町の昔ばなし 更新日 2005年12月13日 昔話 上ノ原の渡し(西原) 小春日和の暖かい昼下り、少しくたびれかけた年寄りのアベックさん、土手の上に腰をおろして、対岸を指さしながら話こんでいます。 ちょっと意地の悪い狸、姿をかくして話のぬすみ聞きを始めました。 「ばあさん、あの辺が権現さんよ、大きなずいの木もあったなあ。」 「ほな、ここらが上ノ原の渡しやなあ。」 「なあ、ばあさん、むかしの上ノ原の渡しがあったら、今の矢切の渡しよりよっぽど有名になるのになあ……。」 あの頃は、この那賀川も川幅がせもうて、両側によしがいっぱい生えて、ほの中を舟が往く、ほんまによかった、渡しが一等の交通機関だったし、この渡しを上った所にお地蔵さんが座っとって、通行人の道や安全を見守ってくだされた。 「このあたりは、ずうっと田んぼだった、向う岸で田を耕しとる人は、この渡しを使うて出かけたもんじゃ。」 「ほな、じいさん、牛も乗せていったんで。」 「いやいや、牛や飼うとる家一軒もなかった。農仕事に牛を使うようになったんは、ほれから後のことで、牛を飼うとるんは大分限者じゃ、娘を嫁にやるんも、牛が一頭おったら一しんしょうゆうて財産家だった。 ほれから、昭和の初めに改修工事ができるまでは、ここらには、家も大部あったし製材工場もあった。みいんな、立ち退きをして川幅を広げたお陰で、大水が出ても堤防の切れる心配もなうなった。ほんまに、ようなったもんよ。」 二人の、話はつきません。 「ほれから、少し下の大京原へ板橋がかかったけんど、大水が出たら流されるんで、この渡しを利用したんよ。」 二人は、昔を偲んで少ししんみり。 そろそろ腰を上げたお二人さん、トラックや乗用車が通る中を、手を引きあって横切りました。 やれやれ、無事村の方を眺めたじいさん 「この、お地蔵さんが引越して来た上ノ原のお地蔵さんじゃ。」 今も、毎日お線香が上り、無病息災を祈ってお参りする人がたくさんあります。 この通も、今は、幅も広くなり舗装もできていますが これが小松島や、立江へ通じる一級道路でもありました。 立江の、地蔵市や、原の、おやくっさんの市は、人通りがつづいて、渡しも大繁昌であったそうです。 さっきのお二人さん、話ながらありがたいお地蔵さんの前へ、又、腰をおろして家内安全か、無病息災かは知らないが、お心経を唱え始めました。 意地悪狸も、ここらで退散、旧、徳島掛通を、北へ自転車を走らせました。 書き手 早竹愛子 ※「那賀川町の昔ばなし」 昭和六十一年九月 那賀川町社会福祉協議会より発行 |
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